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10周年=私に取っての5月13日は・・・ [時事]



みなさん!

  こんにちは~(^_^♪)



今日は朝からの雨でお昼が近くなった今でもCoCoタン散歩は早朝放出散歩だけ~

2回目の朝んぽは中止して夕方散歩だけにしたいな~(^_-)-☆


今から10年前・2007年5月13日(日)・午後6時30分・・・

私は救急車で草加市立病院へ搬送されました。


同じ市内の近くに住んでいた娘が2日前に誕生日を迎えたので

娘の誕生日を祝って上げようとしていた最中の出来事でした・・

行きつけのお店・当時、川口駅の直ぐ近くに有った

「日本橋亭」と言うお店に入り、靴を脱いでテーブルに付くと

座り続けていると足にシビレが起こる事が有りますが

それと同じ症状になりました・・

「その内に治るだろう!」と気にもならず飲み物・食べ物を注文~


まだ、シビレが無くならないので立ち上がって右足をトントン・・

テーブル上に揃ったので「カンパイ!」して生ビールを一杯飲み干して

当時、主宰していた「秘湯混浴会」でメンバーと良く行っていた

福島の温泉宿で飲んでいた冷酒「奥の松」を注文・・


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http://okunomatsu.co.jp/index.php



「奥の松」飲む前に今度は「靴を履いてみよう」ともう一度立ち上がったら

右足の力が無くなってしまいグラグラ~・・・


意識は全く異常の無い状態でしたが救急車要請~

川口のド真ん中でオカシクなってるのに市内で受け入れてくれる病院はナシ・・

草加の市立病院が受け入れてくれる事になりました。

当時は病院のたらい回しが多かった頃で

翌日には川口でもたらい回しがありニュースになったようです。

http://www.soka-city-hospital.jp/


余談ですが、私の乗ってる救急車が走っている道路の真ん中に

血だらけで倒れている人を発見・・・

ひき逃げだったらしいのですがまだ事故に遭ったばかりで

119番通報がなく、私が乗ってる救急車で別の救急車を依頼・・

まだ、私の意識がハッキリしていたので隊員も安心して

時間を割く事が出来たようでした。



草加市立病院に到着したのは予定の40分遅れ・・・

救急車から降ろされているストレッチャーのガチャガチャ音と

「遅かったね~!」の声を遥か遠くに聞きながら気を失った私・・・でした。




5月13日は日曜日・・・・・

翌・月曜日に頭骸骨を外しての手術をしたのですが

担当医から「後遺症が残り車の運転は出来なくなるかも・・」と

奥さんは聞かされての手術許諾書へサインしたようですが

「車の運転は自分がする」と覚悟を決めたようです。



うっすらと記憶に残っている事・・・・

手術室へ向かうベッドの上で「今から手術なんだな~!」

運ばれていくベッドの横で、奥さんと娘が「頑張ってねお父さん!」



無事に手術が終わりICUに運ばれた私・・・

それからも大変でしたが「ついていた事」が有りました・・

私は自分の健康診断書を倒れる4年前から捨てずに管理してましたし

「何で自分が倒れなくちゃならないんだ!」と・・・

奥さんに「自分の健康診断書を全部持って来てくれ!」と言い

持って来させて主治医に見せました・・・


主治医・・「〇〇さんは田澤先生の患者だったの?」

主治医は驚きの表情で「田澤とは大学病院時代の医局で一緒だったよ!」

直ぐに主治医は田澤先生に連絡してくれました・・


田澤先生から手紙が届き「手術は成功したとの事なので良かった・・

今からする事はリハビリに専念して1日でも早く退院する事」

嬉しい励ましの手紙にただただ涙が流れました。

田澤先生は 日本体育協会公認スポーツドクターで

私が知り合った当時は日本水泳連盟の顧問ドクターでした。

http://www11.plala.or.jp/TAZAWA/index.htm


田澤先生とはダイエットの競争して勝ちました・・

自分の頑張りもあり通院中の多々の検査で倒れる2ケ月前には

降圧剤も半分になったりしてましたが脳出血は血管が切れた事にある訳で

動脈硬化が原因・・と言う訳です。


検査結果で「動脈硬化ですね!」と医者から言われても

「ではどうする!」の指導は中々ありませんよね~

私は50代後半の検査で「〇〇さんの血管は80歳代です」と

言われた事を思い出しましたが現実には「気にしていなかった」

血管がボロボロだってるを放置していたのでした・・・・


倒れた当日の朝も、奥さんと定期的にウォーキングで

遊歩道を片道1時間以上歩いてグリーンセンターを往復・・

帰ってからシャワーを浴びて休憩して・・

娘との約束の時間になって出掛けてます・・

急に血圧が上がるような事をした訳でも無いのに血管が切れる程に血圧が上がったのか・・




なってしまった事は仕方がありません・・・・

今日の私の日記をお読みになって血圧の管理はもちろんの事・・

「動脈硬化」を気にして戴きたいと思う私です。



まだ、書きたい事だらけなのですが・・・

術後、車椅子に乗れるようになってからは車椅子の足を乗せる所を畳んでしまい

動かない右足ともども漕いで前進したりしてました・・

看護婦さんや先生からは「感度の無い右足が車椅子の下へ潜り

骨折するから止めて欲しい!」と言われましたが

「自己責任でやるから骨折しても病院に迷惑は掛けない!」と言い張り続行~


頑張っても3歩しか歩けなかったが車椅子から立ち上がり

手摺り目掛けて歩く練習をしたり・・


全てのベットにはテレビが備え付けられてましたが

「病院は病気を治す場所」と思うのでテレビは一度も観ませんでした。


今では笑うしかありませんが・・・・

仰向けで寝ているのが辛くなりうつ伏せになりたくなりました~

右半身の感覚が弱くてそのうつ伏せになるのが大変・・・

夜中に踏ん張って何分も掛かってうつ伏せになったのですが

今度は仰向けになれない・・

口が塞がって死んでしまうのではと思いながら

朝まで眠らないで過ごして明るくなるのを待って

ボタンを押して看護婦さんを呼んで仰向けにして貰いました(笑)



不自由な右手でマトモに字が書けるのかを知りたい為に

奥さんにスケッチブックと筆記具を買って来て貰い練習しました・・・


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車椅子に乗れるようになると専門のリハビリ病院への転院を余儀なくされましたが

先ずは、面接に行きながら病院の様子を見て来るように・・・・・・・

私の代わりに奥さんと娘が行きました・・。

http://www.ims.gr.jp/saitama_misato/


帰って来た奥さんと娘・・・

「お父さん! ここから出る時は転院じゃ無くて退院して欲しい!」

幸いな事に、ベットが満床で「空いたら入る」の予約をさせられて来たとか・・

入院患者さん達の様子を見させて貰ったけど

箸はマトモに持てない・口に食べ物を運べない・ヨダレがタラタラ・・・を見て


私は、箸は「まぁ正常に」持てて食べるのに苦労が無かったので

娘曰く「お父さんがあそこの病院へ移ったらもっと病気になってしまう!」

その言葉に奮起して午前・午後の2回、リハビリ室に向かい

頑張った結果、42日目で退院に漕げ付きました。

脳出血で頭骸骨を外して手術した人が

この早さでの退院は草加市立病院、始まって以来の超特急退院だと言われました。



退院する時に「身体障がい者の申請書類を書きましょうか?」

私は自分が身体障害者となり杖を使わなくちゃならない人生を送っている姿を

想像する事も出来なかったので「今の姿は仮の姿」だと思い

絶対に元の身体になるんだと心に決めて「書類は書かなくてもいいです!」

退院して3年が過ぎた頃「今の姿が本物の姿」と思うようになりました。



バスのに乗って障害者が座れる座席に座っている時に

「お前が座る席じゃ無いだろう!」と何回も罵られた事があれました・・

そんな時に赤い手帳の身障者手帳を持っていれば

堂々と座っていられるのに・・・と思うようになり

耐えて・耐えて・・・耐えて・・・・過ごしていた日々に

ピリオドを打つべく福祉課に出向き手続きをして

「下肢身体障害者4級」の手帳を交付して貰った訳でした。



退院しても「敷居を跨げない」「トイレに行っても右手の感覚か無いので

トレットペーパーを手にしている感覚が無い」そんな事も有りましたが、

それらの全てが「私であり」日々の生活のひとつひとつがリハビリとなっている訳です。




取り留めの無い話となり、何処で日記を閉じようかとの思いですが

こんなmakkunの10年前を「記憶に残す」「記録として残す」

一般的に脳出血の死亡率は約15%程と言われてるので

「死ななくて良かったな~!」・・・

そんな風に思いますので、今後とも宜しくお願い致します。




★本日もご訪問戴きましてありがとうございました~( ^)o(^ )





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